お支度パネルを作る
身の回りのことができない娘のために、お支度パネルを作ることにしました。
ネットで検索すると、”支度の遅い子はパネルがあると便利。発達障害の子だけでなく、どの子にもおすすめ”という文言があり、私は娘が「どの子にも」の方で効果的だといいなと思い、お支度パネルを作りました。
プラスチックダンボールとマグネットを使い、「食事」「トイレ」といったイラストを印刷して貼り付け、食事ができたらマグネット式のフタをパチっと閉じられる仕組みです。
なかなか良い出来ではないかと自画自賛して娘の目に届く所に貼り付けます。
娘は思ったより興味深そうに眺めています。
そして翌日。
なんと、娘がパネルをみてお支度をしているではありませんか!
予想外の反応の良さに、すごい!と思う反面、今まで言われていたことがよく分かっていなかったのかな、、と不安になります。
どの子にも効果的ということだったけれど、あまりにも娘に効果がある様子をみて、もしかして娘は発達障害なの?
初めて娘の様子と発達障害がイコールになりました。
そう思ってからは、娘は発達障害なのかを毎日ネットで検索する日々。
娘と違う様子が発達障害とあれば、やっぱり違うとホッとして、娘と同じような様子があれば、やっぱりそうなのかもしれないと気持ちが乱高下していました。不安にかられて、ますます心に余裕がなくなっていきました。
保育所の先生に相談する
娘の担任である50代のベテラン先生に娘に感じている不安を連絡帳で打ち明けてみました。
毎日の連絡帳にも、癇癪がひどい娘の様子をよく記載していたのですが、あらためて、日々の生活から発達について不安があるため発達支援センターに相談したほうが良いのではと考えていること。また、保育所での様子について教えてほしい旨を連絡帳に書きました。
先生からは、保育所では娘はよくがんばっている、特に発達で気になることはないという回答でした。
その時は納得したものの、毎日の家での生活は癇癪にあふれており、私は益々疲れ切っていました。
その後、何度か発達についての心配を連絡帳に書いた後のお迎えで、先生から声をかけられました。
「お母さんの心配という気持ちは分かりますが、まだ年少さんです。保育園でもがんばっていますよ。お母さんが細かいところを気にしすぎ、心配しすぎです。」と先生はおっしゃりました。
先生の話を聞いている最中から、私はボロボロ涙がこぼれて止まらなくなりました。
私が心配しすぎなの?毎日何時間も泣き叫ぶ娘と暮らして、私はもう限界なのに、私が細かいところを気にしすぎなの?
悔しくて、悲しくて、辛かった。
その帰りに娘と歩きながら、それでもまだ涙が出てきました。
娘は私の泣き顔を見て、走り去っていきました。
私はまだ娘と手をつないで歩いたことがありません。
娘は手をつなげない。つなごうとしても振りほどく。危ない道は私が娘の腕を掴んで逃げないようにしなければ歩けません。いつも嫌がって暴れるため、毎回無理やり引きずることになります。
こんな状態でも、娘の発達について心配することは私が気にしすぎなのだろうか。やりきれない気持ちでいっぱいでした。
発達支援センターへの相談を決める
ある朝、娘がおねしょをしました。濡れた服のまま、着替える気はなく、全身こんにゃく状態になる娘。私が着替えさせようと引き出しから服を取ると、何が気に障ったのか「勝手に引き出しから取ったでしょ!」と睨みつけてきます。
また、娘が遊んでいた風船がこちらに来たので、ホイッと投げると「投げないで!」と睨みつけます。
朝ごはんに電子レンジで牛乳を温めて、チン!と鳴ったので取りに行こうと席を立つと、「食べている途中に立っちゃダメ」と怒ります。
食事のあとは、ずっと付きっきりで遊ぶことを要求してきます。
一緒に遊ぼうとすると、これは触っちゃダメ、あれして、これして、指示と干渉だらけで全く遊べません。
遊ばないとぐずりだし、最後は癇癪を起こします。
今までは何かあるたびに、「こうした方がいいよ」「こういう理由でダメだよ」と状況や理由を説明していましたが、この頃、それができなくなりつつありました。
私が理性を保てなくなってきていました。
娘のぐずる声を聞くだけでも気持ちが沈む。腹が立つ。急に怒りが沸点に達して、怒鳴ってしまう。
もう少ししたら、娘を殴ってしまうかもしれない。虐待してしまうかもしれない。
こう思った時、保育所の先生に何と言われようが、発達の相談をしかるべき所にしたほうが良いと思いました。
私が限界でした。