ASD娘の「ゼロサム思考」「勝ち負けが全て」「完璧主義」を和らげることで世界が広がる

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ASD娘の考え方は0か100かの完璧主義(ゼロサム思考)。
負けることや、少しの間違いも許せないという特性がありました。
これらはASDの特性の1つでもあります。
彼女の癇癪は、この0か100か、勝ちか負けか、できるか・できないか、という極端な2極思考、完璧主義が一因でした。
信じている世界からの少しの逸脱も許せない、負けるなんてもってのほか。
ものすごく狭く、苦しい世界を生きていたのだと思います。


世の中、あながが感じている0か100かだけの世界ではないんだよ。
実は曖昧なふわっとしたことがいっぱいあるんだよ、だから大丈夫。
あなたが思っているより、実はずっと大丈夫なんだよ。
と、教え続けることが大切でした。

目次

負けることが許せない心理と対処法

勝てない勝負はやらない

家では4~5歳の頃、ゲームで負けると癇癪を起こしていました。
負けそうになると、「なんかつまんない」「もう辞める」挙句の果てには、スゴロクやトランプをぐちゃぐちゃにしたりしていました。

保育所ではゲームをしている子の様子をみていたようです。
負けそうなことはやらない。スゴロクのような運の要素が強いものは負けてしまう可能性があるのでやらない。
逆に、オセロや将棋などの頭脳で勝ち負けが決まるものについては、勝てそうな相手であればやるという感じです。
このあたりの、実力の見極めや序列づけも本能的にとても優れており、自分の中で人に対して優劣をつけています。
(この人に対して優劣をつける、序列づけするという特性についても、また書きたいと思います。)

負ける不安の裏に潜む自己肯定感の低さ

また、突然ふと、「私は全然ダメなんだよ」という発言をすることがありました。
他には「~できてすごい?」という発言を繰り返すことも。こちらが「すごい」と言っているにも関わらず、何回も繰り返します。
「~できなくてすごくないよね」というバージョンもありました。
時に、自分で「すごい?」と聞きながら、すごいと言われると、『すごくない!』と激昂することもあり、娘の、すごい・すごくない、のやり取りはとてもつかれました。


今思うと、この、すごい・すごくないの言葉の裏には、彼女の自身のなさや、不安感、自己肯定感の低さがあったのだと思います。
すごい・すごくないという基準や勝ち負けが彼女の自己評価に直結して、負けたときにはその不安が極限に達し、絶望して癇癪を起こしていたのかもしれません。

また、負けて癇癪をおこすこと、同時に、負けるくらいならやらないという姿勢に困っていました。
1度負けたら2度と挑戦しない娘の様子は、学ぶことや新しいことにチャレンジする機会を大幅に狭めてしまいます。どうにかして、負けに対する耐性をつけたい。また、負けてももう一回挑戦するチャレンジ精神を持ってほしいと、いろいろなことを試しました。

負けても大丈夫なことを伝える

ゲームをする前には負ける可能性があることを予告するようにしていました。

  • 今からトランプするけれど、勝ったり負けたりするゲームだからね。
    負けることもあるけど、負けたって別に全然平気。もう一回やればいいよ。
  • 勝ったり負けたりするのがゲームの楽しさだよ。
  • トランプをすると負けちゃうことがあるかもしれないけど、ただのゲームでトランプに負けただけだからね。全然大丈夫。
  • 負けて悔しかったら泣いてもいいよ。でも他の人にあたるのはやめよう。

このように説明をしてからゲームを始めます。
はじめは、説明してからゲームをしても、負けて泣いて暴れたり、癇癪をおこすことがありましたが、毎回毎回、ゲームのたびに、負ける可能性予告をし続けると、「分かってるよ。」というようになりました。
分かっているから必ずできるわけではないですが、徐々に、泣かないで負けることができるようになっていきました。

チャレンジすることがカッコいい!

また、事あるごとに、「負けることがカッコ悪いんじゃないよ。何回、負けたって大丈夫。負けてもまたチャレンジできるのがカッコいいよ!」と伝えるようにしていました。
「負けたって平気!そのあとチャレンジできることがカッコいい!」ということを洗脳のごとく、何度も何度も伝えました。

何年もかけて、負けても「もう1回!」といえるようになりました。
悔しさや不安をこらえて「もう1回!」といえた時は、「ナイス!かっこいい!もう一回やろう」と言って、もう1回ゲームをするようにしていました。

完璧主義を和らげる魔法の言葉「まぁ、いっか」

こだわりの強さからくる完璧主義

娘はこだわりが強く、こだわりの強さからくる完璧主義も癇癪のもとになっていました。
例えば、我が家は4~5歳の頃にしまじろうのドリルをしていたのですが、シールを貼るワークがよくありました。
娘は、シールが1ミリでも枠からずれると許せません。
同様に、字をなぞるワークも1ミリでもはみ出すと怒り出します。

彼女は自分のイメージしている仕上がりと少しでも違うことはとにかく許せませんでした。
そして、そのイメージも必要以上に高いため、いつだってイメージ通りには仕上がりません。

上手くいかないかもしれない予告と「まぁ、いっか」

勝ち負けのときと同様に、ワークを始める前に娘に予告します。
「チャレンジのドリルでシールを貼るところがあるけれど、ぴったり貼れるかもしれないし、貼れないかもしれない。
貼れなくっても別にいいし、もし、はみ出ちゃったら「まぁ、いっか」ってみよう。」

やはり、最初は上手くいかない仕上がりが許せず、怒り泣いていましたが、「まぁ、いっか」という状況があるということを少しずつ認識していきました。

また、想定はしていましたが、小学校1年生の字をなぞる宿題はかなり癇癪大爆発の鬼門でした。
はみ出すことを予告したり、学校に配慮してもらい、徐々に、すこしのはみ出しやズレは「まぁ、いっか」といって許容できるようになりました。(小学校のなぞる系の宿題についても、また書きたいと思います)

母である私自身も、うっかり間違えたり、買い忘れがあったときなど、彼女の前で「まぁ、いっか」と少し大げさに口に出すことで、大抵のことは何とでもなる、「まぁ、いっか」という状況があるということを彼女に定着させていきました。(私の場合は、毎日、間違えたり忘れたりがナチュラルに沢山あるので「まぁ、いっか」だらけなのですが)

母の負けた話、失敗した話を伝える

娘は私の負けた話、失敗した話が大好きです(笑)。


小さい頃にかけっこで負けた話。学校で漏らしちゃった話。発表の時に緊張して上手くできなかった話。
どの話も、楽しそうに爆笑しながら聞いています。
寝るときのピロートークに、負けた話ししてと言われたり。

私のダメダメだった話を聞きながら、「なんだ。負けても、失敗しても大丈夫なんだな」ということは少しずつ伝わっているような、、。
こんなに失敗したって元気に生きているのよ、大抵大丈夫よ!ということを、身近な母親の体験を聞くことで感じてくれたらいいなと思います。
私も、人の素晴らしい成功話や上手にできた話より、ちょっと失敗したりやらかした話の方が聞いていてホッとします。

0と100の間、勝ちと負け以外の価値を知ることで世界が広がる

娘が4~5歳頃に過ごしていたのは、0か100しかない世界、勝ちしか意味のない世界。
そんな世界から、何年もかけて0か100以外の価値観や、チャレンジしてみることを少しずつ伝えてきました。
小学5年になった今、負けても癇癪をおこすことはありません。少し不機嫌になることはありますが。

負けても意外と大丈夫だ、大したことない、という経験を少しずつこれからも積み重ねていくことで、できないことがあった時や社会に出て何か失敗した時に、絶望を感じず立ち直る力をつけて行ってほしいと思います。

完璧主義は長所でもある

細部にまでこだわって仕上げたい、最上級を追求したいという気持ちは、コントロールできれば彼女の長所にもなり得ると思っています。
大人になった時に、こだわりを活かせる環境に身をおけるように、社会と折り合いをつけられる力を、彼女が社会に出るまでの時間で身につけられると良いなと感じているところです。

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